日記の存在理由

Web上で公開されている日記というのは、とても大雑把に分けてしまうと、たくさんの人がみる日記と特定の集団が見る日記に分けられると思う。特定の集団というのは例えば、直接の知り合い同士が実際の関係の延長として見るものであったり、ある特定のコミュニティに属している人がコミュニケーションをとるもののこと。
その分け方でいけば、ここは多分後者に属する。多分ここを見ている人の多くは僕の直接の知り合いであったり、なんらかの関係があるのだと思う。はてなダイアリーキーワードリンクなどが存在していてリンク元表示もあって、訪れる人がそれ以上に多いとはいえ、日常的に閲覧している人は僕の知り合いか、物好きな人か、そうでなければ読むものが無くなった活字中毒者のいずれかだと思う。
そして、特定の集団に向けられた日記は大抵、直接の知り合いなら理解できるがその外部に属している人にはよく分からないようなことが多く書いてある。特定の集団を読者と想定しているのだから、特定の集団にさえ理解できれば他の人が理解する必要はないし、してもらっても意味がない。
でも、この日記は極力そういう要素をなくすか、そういう事柄は逐一説明しているつもりである。(というのも共通の符号によって話が通じさせられるほど共通点の多い生活をしている人が多くないから、というどうしようもない理由があるのだが、)多分僕のことを全く知らない人間がここを見ても、面白いかどうかと読みやすいかどうかは別として、内容自体は訳が分からないということはないと思う。多分。おそらく。そうなっていなかったらまだ僕の伝達能力が未熟だということなんですが。
だから、存在理由が常にぐらついている。
内容は特定人物とのコミュニケーションを求めているものではない。閲覧者はおそらく特定人物が多いと思われる。アンテナで捕捉しているのは特定人物ばかりである。でも別に頻繁にコメントを書いたりトラックバックを送ったりして交流しているわけではない。
だから、立ち位置がいつもぐらついている。
昔はその理由として、別に他人に見せるわけではなくて自分のために書いている、ということにしていた。でも、自分のために書いているのであればWeb上に日記を書く必要は無くて、デスクトップにでも適当なファイルを作ってそこに毎日書いて行けばいい。Web上にあったとしても、はてなダイアリーにはプライベートモードという便利なものがあって、サーバーを管理している人以外の誰にも見られることなく書き続けることができる。
それなのにそうしないということは、つまり100パーセント自分のため、というわけではなく、それは50パーセントだったり30パーセントだったりしてそれ以外に別の理由がいくらか入っているのだと思う。多分それは、書いたものを人に読まれるのが好きだということなんだろうが(僕は趣味で小説を書いていたりもするし)、その割に立ち位置が一貫していないので、たまに存在理由を考えてしまう。